家を出るとき、財布と鍵を持つ。それと同じように、GRをポケットに入れる。持っていこうと、わざわざ決めるわけではない。決めるまでもなく、いつのまにか手のなかにある。もう、そういうものになった。
カメラを持って出かける、というと、少し身構えた感じがする。今日は撮るぞ、という日の話みたいに聞こえる。でも、そうではない。買い物のついでとか、あてもない散歩とか。名前のつかない、ふつうの時間の話だ。
前から使っているカメラは、どれも大きくて重い。そんなに大きくないものでも、持つとやっぱり重い。フィルムのカメラなら、なおさらだ。重いカメラは、持って出ること自体が、小さな決心になる。今日は撮る日か、撮らない日か。迷っているうちに、たいてい家に置いていく。そして置いていった日にかぎって、きれいな光に出会ったりする。

GRを持つようになって、その迷いがなくなった。ポケットに入っているから、撮るか撮らないかを、出かける前に決めなくていい。決めるのは、いいな、と思ったその場所でいい。窓の向こうにひらけた景色。ふと入った店の、静かな片隅。構える間もない一瞬に、すっと出して撮れる。
気兼ねなく撮れる、というのが、たぶんいちばん近い。大げさな道具は、向けるほうも身構えるし、その場の空気も、少し変わってしまう。GRには、それがない。日常を止めないまま、その一秒だけを、そっとすくいとれる。

そして、写りが好きだ。うまく言える自信はない。ただ、自分が「いいな」と思って見た、その感じのままに写る。足すのでも、引くのでもなく。だから、撮るとき迷わない。このカメラは、たぶん自分の見え方を裏切らない。そういう安心が、いつのまにか、心のなかにある。
道草ができるのは、気兼ねなく撮れるものが、手もとにあるからだ。財布や鍵とおなじように、意識もせずに持って出る。だから、思ってもみなかった一枚が、今日もどこかで、静かに撮れている。


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